01-interview_kv

大地と人が響き合う。伝統を守り続けて。

川湯地域運営協会 池田 篤英さん

40年の歴史を見つめ続ける、町の「語り部」として。

川湯地域運営協会に関わって約50年、そしてガイドとして20年以上。池田さんは、この町の盛衰を誰よりも深く見つめ続けてきました。マス旅行の全盛期、一度に100人以上の観光客を拡声器で案内していた賑やかな時代から、旅行のスタイルが個人へとシフトし、静寂を取り戻した現在まで。かつては冬になると店先で木彫りのクマを彫り、町中が熱気に包まれていた活気ある日々を、懐かしそうに、そして愛おしそうに振り返ります。「私はネイチャーガイドではなく、町の語り部なんです」と微笑む池田さん。明治9年から続く川湯の歴史、炭鉱から温泉観光地へと移り変わった変遷。彼の語り口には、単なる歴史の解説にとどまらない、この地で生き抜いてきた人々の体温と、変わりゆく故郷への深い愛情が滲み出ています。

見えない地下の脈動と、驚きの瞬間を分かち合う。

「お客さんがびっくりしてくれる、あの瞬間がやめられないんです」と池田さんは嬉しそうに語ります。平地でありながら高山植物が群生する特異な植生。そして何より参加者を驚かせるのが、足元の岩盤に石を落とすと「ポンポン」と響く空洞音です。私たちが踏みしめるわずか数メートル下を、硫黄山から湧き出た温泉が川のように流れているという事実。温泉ソムリエでもある池田さんは、東西わずか1キロ、幅200メートルという極めて限定された範囲にしか湧出しないこの湯の奇跡的な価値を、熱を持って伝えます。「温泉のルーツや、この地がどう生み出されたかを知ってからお湯に浸かるのと、何も知らずに入るのとでは全く違います」。彼のガイドは、目に見える風景と見えない地下のドラマを繋ぎ合わせる魔法のようです。

世代を超えて受け継ぐ、未来への静かなバトン。

過疎化や観光客の減少という課題に直面しながらも、池田さんがガイドを続ける理由。それは、「先輩たちが40年続けてきたものを、途絶えさせたくない」という静かな使命感にあります。自分が若い頃は気にも留めなかった先人たちの努力が、年齢を重ねるにつれて身に染みてわかるようになったと言います。現在、ガイドは4人体制。池田さんは自身の背中を見せることで、若い世代へとこのバトンを繋ごうとしています。春から夏にかけての限られたシーズン、この散策ツアーは川湯温泉の観光の要として、町の人々の「おもてなしの心」を高揚させる大切な行事でもあります。池田さんと共に歩く道は、大地の奇跡を知るだけでなく、地域を守り、未来へと手渡そうとする人々の温かな営みに触れる道でもあるのです。

特異な現象を確かめる⁠、川湯温泉の源へ⁠。〜⁠地域で守られてきた⁠、つつじヶ原の散策〜

プログラム詳細・お申し込みはこちら